女性活躍推進法が施行され、この4月で10年を迎えます。この10年で女性を取り巻く環境は大きく変化したと言われていますが、実際には、結婚、出産、育児、離婚など、女性には多くのライフイベントが訪れます。
そして女性は、どの選択をしても“選ばなかった道”と比較されがちです。結婚しても、しなくても。子どもがいても、いなくても。離婚しても、しなくても。どの道を選んでも、誰かの基準で評価されてしまう現実があります。
それでも、働き続ける女性は確実に増えています。私自身も4人の子どもを育てながら働いてきた一人として、働く女性をもっと応援したいという思いが強くあります。
私の原点
私の原点は、八百屋の長女として育った日々にあります。祖父も父も八百屋、祖母も店に立ち、家族全員が当たり前のように働いていました。そこには「男だから」「女だから」という線引きはなく、ただ“働く”という行為そのものが生活の中心にありました。
特別な資格や技術がなくても、働く人は尊い。マルクスが語ったその思想は、私が幼い頃から肌で感じていたことでもあります。けれど同時に、「働くことに振り回されてはいけない」という警鐘も、どこかで響いていました。
そんな大人たちの姿を見て育った私は、働くことを“選択”ではなく“自然な営み”として受け止めていました。
しかし中学生になる頃、スーパーやモールが増え、個人の八百屋は時代の波に押されていきました。売上は減り、店は閉じ、父は職を失いました。それでも「働かなければならない」。父は運転免許を生かし、トラック運転手として再出発しました。
ただ働くだけが人生ではありません。けれど、自分らしく生き生きと働けたかどうかは、父にしかわからないことです。
けれど私は思います。“自由に生きる”という言葉は軽やかに聞こえますが、その本質は決して楽なものではありません。男女を問わず、自分の選択に責任を持ち、誰も台本を書いてくれない人生を自分で切り開いていくこと。「自分にしかできない仕事」も、「自分にしか歩けない道」も、誰かが与えてくれるものではありません。だからこそ、自由には覚悟が必要で、同時に大きな可能性があるのだと思います。
とはいえ、ライフワークバランスは簡単ではありません。 家庭の負担、周囲の視線、社会の期待。女性が新しい一歩を踏み出すには、まだまだ高い壁があるのが現実です。
司法書士業界に限らず、「今の自分を変えたい」と願っていても、周囲の目が気になって一歩を踏み出せない女性は少なくありません。家庭では家事や育児の負担が大きく、挑戦したい気持ちがあっても、ためらってしまう――それが多くの女性の本音だと思います。
司法書士を目指した理由
私は八百屋の娘として育ち、商売には興味がありました。しかし、在庫を抱えるリスクや、大手にはどうしても勝てない現実を間近で見てきたことで、「自分にできる商売は何だろう」と考えるようになりました。その中で出会ったのが、司法書士という資格でした。
合格率は3%弱。
試験科目も多く、決して簡単な道ではありません。それでも、公務員試験のように分野が大きく異なるわけではなく、学びの共通性があると感じました。そして何より、受験資格が不要の“実務家登用試験”という点に強く惹かれ、挑戦を決めました。平成28年5月のことです。
勉強時間さえ確保できれば、環境には一切こだわりませんでした。車の中、洗濯物を干しながら、育児の合間に――「ながら勉強」で積み重ねる毎日。朝3時間、昼3時間、夜3時間。ただ合格だけを見つめて、無我夢中で勉強に取り組みました。
キャリアも人生も豊かにしてくれる「学び」は、女性にとって最大の武器です。学び続けることで、自分の中に少しずつポジティブな変化が生まれていくのを、確かに感じていました。
子育て中のママであっても、勉強している時間だけは“学生”になれる。 その感覚が、私を支え続けてくれました。
合格後の現実社会
平成31年、ようやく掴んだ合格。けれど、4人の幼い子どもを育てる母親を受け入れてくれる事務所は、東京でも一つもありませんでした。「働きたい」という思いがあっても、その思いが社会に届かない――そんな現実に胸が締めつけられました。
ジェンダーギャップ指数では主要7か国で最下位。女性が“当然に”活躍できる社会には、まだ遠いのだと痛感しました。
今、私自身が経営者となり、雇用する側の視点も持つようになりました。だからこそわかるのです。これは一人の経営者の判断ではなく、社会全体の構造の問題であり、女性の地位向上という世界的な課題でもあるということを。
けれど、ここで私は一つの真理に気づきました。「決断することがない」ということは、迷う必要もないということ。選択肢がないのは不幸ではなく、むしろ超ラッキー。
今できることを、できる順番で淡々とやるしかない。迷うほどの選択肢がないのだから、迷う時間すらいらないのです。
即独は逃げではない。社員ではなく商人になるための第一歩
就職先がないなら、独立するしかない。補助者経験ゼロで即独立。経験も仕事もない。あるのは「働かなければならない」という現実だけ。
その姿は、八百屋を失いながらも働き続けた父の姿と、どこか重なって見えました。
私の場合、開業初期は法テラス事件を中心に報酬をいただいていました。
債務整理や簡裁事件が主な業務でしたが、仕事はまだ少なく、動ける時間だけはたっぷりありました。
そこで私は、コロナ禍の時期に、生活困窮者向けの無料法律相談会、ホームレス支援、離島支援の団体などで活動しました。プロボノ活動です。もはや法テラス以下の対価。無料のボランティアなので、もちろん生活費にはなりません。
しかし、今こうして法人化までできた今だからこそ言えます。あの時に得た経験は、お金では絶対に買えない価値だったと。
もし、私のように開業しても仕事がまだ軌道に乗らない方がいたら、「お金を得ること」だけでなく、「経験を得ること」を目的に資格を活かすという選択肢があってもいいと思います。
就職活動中も、独立してからも、物事を「お金・損得」だけで判断すると、うまくいかないことの方が多く、悩みも増えます。
お金を増やす原理は、本来とてもシンプルです。野に咲く花を摘んで50円で売れば50円の利益。もっと売りたければ、もっと摘めばいい。リボンをつけて価値を高めれば、250円で売れるかもしれない。
司法書士の仕事も同じ。国家資格という“花”に、自分の知識、経験、性格、そして人生そのものをリボンのように重ねていくことで、価値は何倍にもなる。
もし利益が出ないなら、利益を生む付加価値を自分で育てていけばいい。止まらず、動き続けること。そして、自分らしさという付加価値をまとった事務所をつくること。当時、未就学児4人を抱えていた私は、普通の一軒家を借りて、一階を事務所に、二階を生活の場にしました。本来の士業の開業プランとはまったく違う形で、仕事を始めたのです。
「まずは事務所を構えて、立派な応接室をつくって、生活と仕事はきっちり分けて…」 そんな“士業らしい開業”の発想の枠を、私は完全に壊しました。
一階には和室を面談室にし、別の洋室を執務室に。お風呂もトイレもそのまま残っている、生活感のある空間です。二階には台所、リビング、寝室。仕事と子育てが地続きの、私にとっては必要に迫られた形でした。
しかし、その根っこには、私の父の「八百屋」のルーツがあります。子どもの頃、急激に増えていく立派なスーパーマーケットを横目に、個人の店が次々と姿を消していく光景を見てきました。それでも最後まで残っていたのは、小さな一個人の八百屋が放つ“看板の力”でした。
野菜が大量に売れなくても、店が閉まってしまっても、「八百屋の看板さえあれば、何を売っているかは地域の人に伝わる」という商売の原点が、そこには確かにありました。
だからこそ、司法書士として独立するときも、豪華な内装や立派な事務所より、「何をしている人なのかが一目でわかる看板だけは、しっかりつくろう」と決めました。
そして、仕事と子育ての時間を効率よく使えるように、この一軒家を自分流にアレンジしていきました。生活と仕事が混ざり合う空間は、結果として、生活感あふれ、地域の人がふらりと立ち寄れる“開かれた場所”へと育っていったのです。子どもの成長に合わせて昨年事務所の近くで自宅を購入することの夢も叶いました。
「できること」を積み重ねて生きてきた私
私は、「何がしたいか」ではなく「今の自分に何ができるか」を軸に生きてきました。その時々で“できること”を積み重ねてきた結果、今の私がいます。
暮らし、働く中で、私は地域の“個人の人”に支えられてきました。お菓子やパンを持って立ち寄ってくれるお客さん、草むしりをしてくれる人、選挙のときにポスターを貼ってくれる人。司法書士としての私ではなく、「山川さんだから」と言ってくれる人たちがいます。
司法書士の仕事は一回きりの依頼が多い。だからこそ、依頼が終わる頃には、司法書士としてだけでなく、一人の人として感じてもらえる仕事をしたいと思っています。
自分らしさを更新し続ける秘訣は、失敗に執着しないこと。就職できなければ開業すればいい。結婚も転職も、何回したっていい。試験も落ちてもまた受ければいい。完璧じゃなくていい。できることを一つずつ積み重ねれば、必ず道は開ける。
振り返れば、目標を達成できなかったときほど、周りの人の支えに救われてきました。
新人時代にご飯をごちそうしてくれた先輩、忙しいときに子育てを手伝ってくれる祖母、お茶漬けが5日続いても文句を言わない子どもたち、事務所の横の駄菓子屋さん、子どもを見てくれる近所のおじちゃんおばちゃん。大変な時ほど、周りに救われていることに気づきます。
司法書士という小さな世界でも、働き方や価値観は常に変わっていく時代。私もその変化の一部でありたい。そして今日も、人生は儚いからこそ、後悔しないように生きようと思っています。
本当に私を支えてくれるのは、目に見えない“人の気持ち”や“つながり”。その一つひとつに感謝しながら過ごすことこそが、私が逆境の中で学んだ、いちばん大切な考え方です。
机の上には、戸籍や住民票、登記簿といった無機質な書類が積み重なっています。けれどその一枚一枚には、誰かが生まれ、誰かが亡くなり、人生が動いた“人の痕跡”が静かに刻まれている。 その重みを感じながら、今日も私は仕事に向き合っています。













